Le 31 janvier …

 

Je continue en attendant une meilleure connexion pour les photos...

C'est après 19h surtout qu'il faut arpenter les trottoirs de tomettes disjointes du "Downtown Bombay" de Colaba à CST, la gare centrale en style gothique anglican, aussi appelée "Victoria Station" ... spectaculaire la gare avec ses voutes de cathédrale .... Quant aux rues, elles sont une ruche le jour, mais le soir, à la relative fraiche, c'est là que tout s'éveille encore plus ! Il faut se fondre à la marée et se laisser aller. Surtout ne pas essayer de lutter contre .. . Mais c'est toujours "safe" dans le sens que, malgré la grouillance, aucune agressivité ni haine à fleur de peau, c'est même plutôt sympa et "rassurant', la foule indienne, bref rien à voir avec certains quartiers de Paris ou le ressentiment inter-ethnique est prêt à vous péter à la gueule au moindre regard.. Moi, que voulez-vous, la ville indienne me repose. Je m'y sens moins crispé, plus cool. Et il y a plein de sourires, plein des visages qui se tournent vraiment vers vous et des yeux qui vous regardent, pas sous cape du tout ...

Et la bouffe, ça va ! Rien contre le fish tikka massala et autre paneer, bien au contraire. D'ailleurs, j'y suis habitué à la maison où on mélange un peu tout avec madame, elle est aussi fan de la errance en général, géographique et culinaire ! Elle avait commence à 17 ans par un voyage à travers l'Europe sur la piste de la petite fille blonde figurant sur les boites de caramel français vendus au Japon ... Le tout, quelle qu'elle soit, c'est de suivre la piste de ses rêves... non ?

Ce soir, nous prendrons un train de nuit, a CST justement ...Eh oui, il y en a encore ici ... Ils ne sont pas encore au tout TGV. Dépêchons-nous d'en profiter !

J'essayerai de mettre des photos plus tard aujourd'hui ... Hold on.

1/31

今、アウランガバードに向かってムンバイを去った。夜行列車は、冷房付きしか残されていなかったので、それにしたが、かえって込むと言う惨事を避けるには良かったようである。込むと言うのは、半端じゃない。自分が座ってるとこがベットになるのだが、2人ほどの男の人が私の横に座って、動かない。英語でこれは私のベットだと言っても、手ぶり身振りを加えても、判らない。最後は怒鳴って蹴散らした。と言っても相手は兵。。。通り道に寝だして、足を私が予約したベットに乗せる。こうなったら、私は彼の足を蹴ったりして、やっと自分の陣取りをする。夜中にトイレに行こうと起きたらギョギョギョ。人間の寝転んだ山がトイレまで続いている。トイレのドアを開けるのもやっと。そのトイレはウンコが何十もの重なりこんにちは。。。どうも、3等車かなんかの席にあふれた人が、2等車まで押し寄せたらしい。ほかの機会に同じ2等車に乗ったが、込んでなかったので、快適だった。今回は初めて、2番目に高い寝台車に乗ってみた。== いい予感がする。とにかく人が少ないし、冷房はひどく寒くなく快適だ。2番目に高いと言っても、2人で1100ルーピー==20ユーロぐらいかな?==の値段で7時間の夜行列車の旅ができちゃうのである。

 

この列車の予約は、24時間前。つまり昨日したことになる。。なんだか日付の感覚がおかしい、、、30日の朝の2時に旦那に起こされてそれから眠られなくなって、7時ぐらいまで起きていて、それからまた寝たが旦那が物音を立てたので起きた。歳をとったかな? 一度起きたら寝られなくなることがこの頃しばしば出てきた。ただ単にタイムラグから来る体の変調かもしれない。その調整にいつも1週間かかる。今回は、いつもとは違う変調===時間にこまめに寝たり起きたり繰り返す、と言う症状になったようである。

 

ボンベイ、ムンバイには、約2日半いた。ついた日の午後は仮眠して散歩に出かけ、ご飯を食べて返って来て、旦那がネットをするために私のコンピューター占領し、問題が起きたので、私はまたそこで仮眠。それで起き出して、これを書いたので、睡眠不足。次の朝は、長い朝食をインターナショナルカフェで済ますと、切符を買いに出かけた。よく、ガイドには一日がかりで並ぶとか、入手が大変だとか騒がれているが、外人用の窓口があり、そこでものの5分もかからず取得した。それでとても鼻高々の私。

 

ところがここからが受難続きだった。宿が、ネットが好きなだけ使えるし、それなりで清潔で暑いシャワーもあり2人で一晩27ユーロとボンベイにしては破格だったのに、旦那が仮眠したときに起こしちゃ悪いかなと相談しなかったら、起きたときに同意を得て、宿屋にもう一夜お願いと言ったら、もうすべての部屋がふさがってしまっていた。それで、昼12時のチェックアウト後、そこの紹介で次の宿に移る。しかし、2100ルーピーの部屋しか空いてないと言う。まあ、良いかと。。しかし問題が生じたのは、ネットがつながるはずなのにつながらないのを見つけたときだった。。確かにコネクシオンは、はっきり私のコンピューターに表示されているのに、もらったWEP KEYの暗証番号を入れてもつながらない。そんなはずはない。。うんうんいいながら問題を解決しようとやっていたら、最後に、発見したのは、インターナショナルカフェのワイファイの名称とこのホテル、ウインザーホテルが同じなのに、WEP KEYが違うのである。こんなことがあるのだろうか? まあとにかく以前のキーをキャンセルしウインザーホテルのコネクシオンを捕まえるのに成功。ところが、なんだかこのコネクション怪しいらしく、シャットダウンばかり繰り返す。その夜はもう使わないことにした。

 

ここからネット受難民になる。

 

旦那が、私があせってインターネット問題を方をつけるのに時間を食ってるのでお冠だ。ゴマすりで、コラバ地区に行き、旦那の好きなレオポールカフェで遅めの昼を取る。ここはファッショナブルなっているが確かに美味しい。金額が高いだけでもないし、銃襲撃があったから有名観光地になっているだけではない。確かにうまいのだ。今は、かなり外人が減って、金持ちでかっこいい最新ファッションに身を包んだご子息とご令嬢の溜り場だ。相変わらず外人のファッションで小汚いビーサンに、着古したt-シャツのバックパッカースタイルである。こういう現象は、青山がファッショナブルになる1975年の現象とまさしく似ている。

 

はー食べ過ぎた。食べ過ぎた大きな腹を抱えてまん前の私のお気に入りの洋服店に出かけた。ここも旦那がついてくる。女の買い物にである。ここではほんとに女の買い物をする。普通はしないけどね。ここにはあまりにも私好みの洋服が五万とあるのだ。プリントの素晴らしさ、そのうえにて刺繍が、これでもかとしてあり、その上に素材は、綿が中心。その上色の組み合わせ方がもう頭が下がる。そしてインドで高いと言えど、西側から来たものには、このクオリティーで30ユーロ40ユーロだったら泣きたいほど安い。セールと言うこともあり、買いすぎるんじゃないかと思ったが、、、店のものを全部見させていただいて、30着以上試着させていただいて、たった2枚のお買い上げとなった。

 

今年の色は素晴らしいのだが、私にはあわなかったことと、長いサリーのバージョンが多く、私には、寝巻きの様に見えてしまう悲しい結果となった。私には、すとんとしたデザインで、膝丈ぐらいのもので、できるならスリットが入っていなくてワンピースで着るのが一番似合うのだ。色は、明るく楽しく優しい感じが似合い、今回はいい感じだがあくどい色の組み合わせだから、これはまさしくインド人に似合う。夏服だけが増えても、暑くないパリでは着れないから、馬鹿見たいなんであるが、、デザイナーとしては夏服が大好きな人であった。何時でも踊れるような服が好きなんである。

 

その後の生活用品買い物。。旦那のツッカケ。シャンプー、手のひらサイズのメモ帳。旦那の髭剃り。全部さっさと見つけて成功したのに、インド全土にかけられるシムカードを探し当てたのに、アメリカの携帯電話が、ブロックされたままになっており、結局買えなかったのが残念。

 

そして、ネット受難。前回お世話になっていた店は、いったその瞬間にサーバーダウン。次にいった店は、コンピューター持ち込みお断り。ワイファイがあるカフェに行くともうそのサービスをやめたと言う。それであきらめて、ホテルに帰るとタクシーに乗り込んだ瞬間、見つけたのがロイヤルカフェ。今度は常設のコンピューターが無い。然るに、旦那と私のコンピューターを回し使いして、私は何も遊べる時間が無くてまた無念だった。

 

結局ネット受難。ネット屋の地図が、アイパッド スマホ ネットブックを旅行者が持参することで変わったのかもしれない。ワイファイはフリーと言う観念が増えてきて、ネット屋はもうコンピューター持込を許さなくなったところが多い。何か、ハッキングが起こってるのかもしれない。つまり、持ち込みの人に、ウエップキーが知られると、そのラインごとを奪われるなんて事が起きるのではないか? そんなことが可能かどうか知らないが。ウインザーホテルのネットはパクリだと私は思うのであった。

 

今日は、午前中部屋で寝ていて、旦那はネット屋で、ついに自分のヤフーに入ることができたと言ううれしいニュースが入ったが、今までの大騒ぎはなんだったのか、、、ようは自分が選んだセイフティの質問とそのこたえわすれちゃったんだし。。。そのうえ、私がワイファイのつながるところにいると、つかわしてくれとおねだりする癖がついたので、困ったことになった。結局私はネット受難。ネット受難は旦那のせいだと大きく責めているが、本人は私が悪いと主張。最初の宿、パリから予約したトラベラーズインは、大当たりだったのだ。最低限のファシリティーがそろっていて手ごろな値段の宿だった。ちゃんとワイファイには階ごとルーターをつけて、なんとインドにしては部屋でウイフィが捕まえられる前代未聞なことをやっている。もちろんもっと高いホテルだったらそうなるだろうが、ダブル部屋27ユーロそこそこでこのサービスは捨てがたかった。つまり、ネット天国。そこを追われたらエデンの東を追われたごとく、ネット受難。部屋を見た直後に決めれば、まだ空きは2部屋あったのだった。旦那が眠りこけたのが悪いと言うのが私の主張。旦那は、私が彼の寝てるのを待たずに決めなかったので悪いと主張。そのように考えるとなんで旅をするのか私は判らなくなった。私が望むのは、綺麗な夕日が沈む誰もいない海の前で、カフェをしながら、ネットに浸ると言うのが天国。それができるのはゴアだけである。ただ、[綺麗な夕日が沈む誰もいない海の前]をのけてしまえば、まさしくパリの家が一番最高の環境である。欲しい物は家にそろってる。

 

それではなぜ旅をするのか? 多分たくさんの[えっ]にあって自分の概念がガラガラと崩れるのを楽しんでいるのかな。。多分ね。午後は、散歩と、マーケットにいたったが、商品がつまらないこととその雰囲気が良くなかった。楽しそうな雰囲気が無いのである。ここはイスラム教関係の人ばかり。いっては悪いけどどうして彼らは排他的なんだろう。向こうから異種が入ってくると嘲笑しだすのである。ちっともたのしそうじゃなく、なんだか隙があったらぼってやるぞと言う感じのところは、パリにいるモズリムのアラブ系フランス人ともつうじる。女だと思うと集団でヘラヘラ笑ったり。中国人とさげずんだり。

 

でも例外があるのは知っている。ポンディシェリーのイスラム関係の人たちはほかの宗教の人たちとうまくやっている。しかし、ボンベイでは、どうもうまく言っていないようである。イスラム関係は隔離された地区に住んでいるので、歩いていてもあからさまに見えないが、その集まった場所に行くと突然排他的な空気が読める。テリトリーに入ってこないでと空気が言う、目線が刺さる。だから、彼らは余計隔離される。彼らは孤立する。それでも彼らは少しづつ自分の陣地を拡大していく。インドは近年イスラム戦略が多い。その町の法がイスラムになる。そうすると他の人はちかずけなくなる。私たちはハイダラバッドにいくかどうか迷っている。旦那が行きたいと言い出したのだが、ちょっとインド人に聞いたら忌み嫌っていた。あそこは駄目だ、と言う、なぜと聞くと、いいずらい感じで、イスラムイスラムだからと答えた。ボンベイの町の台所といわれたマーケットを、イスラムに奪われたのを見た私はひどく納得してしまった。なぜ彼らは世界のあちこちで問題を起こすのだろう?? 仲良くやろうよ。イスラミストといい、アラブといい、モスリムといい。。何でそんなに征服したがるのか? 

 

このマーケットの後、ホテルにいき、荷物を取り、インターナショナルカフェで夕食をとり、駅に行った。そして列車に乗る。あと2時間ほどでアウランガバードに着く。バードと地名に付くのはイスラムの町だ。排他的でなければいいが。。。